時は1950年、5月の「ある晴れた日に」蝶々夫人のふるさと長崎に生まれました。

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「後にプッチーニのオペラに夢中になる下地はやはり長崎にあったようだね」
本当はちょっと北の佐世保市生まれだが、外国では長崎の知名度が高いので説明が簡単という理由と、
オペラ「蝶々夫人」の大ファン! ということで長崎生まれと称しているらしい。
先祖代々の実家は佐賀県伊万里市にあり、数代前まで油問屋を営んでいたが、知人の保証人となり
お決まりの倒産。脇田村に移る。
悠太香の母の代から一山超えた長崎県佐世保市に移るが、夏休みは脇田の田舎で過ごした。
毎年春には祖母と有田の陶器市に出向き、その年一年間使う食器を買っていたのを憶えている。 心のゆとりを感じさせる祖母だ。有田焼大好きである。久保田家のお墓は今も伊万里にある。
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幼い頃、テレビで始まったクラシックコンサートホールで演奏される「新世界交響曲」や
「ボレロ」に夢中になり、なぜかヴァイオリンに目覚める。

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豊かな自然に恵まれ、野山を駆け回っていた自然児・悠太香少年が、民謡と浪曲、歌謡曲しかない
時代と環境によくぞクラシックに出会えたこと・・・・。[
その頃町内にテレビが普及し始め、母の妹のM叔母さんが我が家にもテレビをプレゼントしてくれた。
テレビが届けられる日は皆で出迎えたのを憶えている。このテレビのおかげでクラシック音楽と出会えた。
叔母さんありがとう。
「新世界交響曲」第2楽章の「家路」のメロディーには子供ながらに心を打たれ、ラヴェルの「ボレロ」から
受けたショックは、放送の翌日にはバスで街のレコード店へ出かけ、EP盤を買ってしまったほどでした。
あれだけたくさんの楽器が演奏するオーケストラのなかでなぜヴァイオリンに惹かれたかは不明。
いまだにその原因を探している様子。
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隣りのお姉さんが持っていた「白鳥の湖」と「アイーダの凱旋行進曲」のレコードに感動。
毎日通って聴くうちに摺りきれてしまう。
同じ指揮者と演奏団体による新録音盤を購入するがその演奏にまったく感動しないの驚く。
この時から「演奏の不思議」が脳のどこかに住み着いてしまい、長い長い音楽の謎に対する
洞察の旅が始まる。 |

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「白鳥の湖」は名旋律の宝庫。これほど美しく、変化にとんだメロディーと起伏にとんだドラマが
展開される曲があるだろうか。
ちなみに当時感動した演奏は、オーマンディ/フィラデルフィアのモノラル盤で、新録音のステレオ盤
ではまったく感動しなかった。なんという不思議よ。
以後アンセルメ/スイス・ロマンド盤でのチャイコフスキーの3大バレー全集からはじまる「白鳥の湖」
探求がはじまる。現在も放送される「白鳥の湖」はほとんど見ている。休日の朝に聴くのにピッタリ
の曲だ。ヴィデオでも見あきないのはなぜだろう。
アイーダの「凱旋大行進曲」の演奏者は覚えていないが、様々なカットの違いと演奏の違いにも
驚いていた。後年イタリア・ヴェローナのローマ円形劇場で上演された「アイーダ」のスケールの
大きさが印象に残っている。やはりこの曲は野外が似合う。象が出ない「アイーダ」なんて・・・
「演奏と感動の不思議」の謎に迫るのは40年後でありました。
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ヴァイオリンに夢中。初歩の段階から知っている有名曲をすべて弾こうとする無謀さ。
世界大音楽全集で楽譜に親しみ、名曲解説全集を読破して作曲家と作品についての知識を
得たその頃から一つのことにこだわる性格が強くなったような気がする。
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中学、高校と大阪に住む。
梅田のN堂書店で20巻近い名曲解説全集をまとめ買い。友人と二人で必死に持ち帰った。
完全読破までそれほど時間がかからなかった。とんでもない量の情報を得て、見知らぬ曲への
憧れが増す。
世界大音楽全集は100巻以上の楽譜全集で、ヴァイオリン協奏曲集、ソナタ集と有名小品の
ほとんどを分冊で手に入れたが、声楽、ピアノ作品までは手が出なかった。初めて買ったのは
ベートーベンの「ピアノ協奏曲集だったが・・。
その時代の大曲の代表だったベートーベンの「第九交響曲・合唱付」は第4楽章だけが入った
EPレコードで「喜びの歌」の原型を聴く。序奏部のレシタティーヴォ部分と断片的な音楽をまったく
理解できなかったが、後に全曲を聴いてようやく納得。
少しずつ集めたレコードは運命/エーリッヒ・クライバー、悲愴/アンセルメ(ロンドン廉価版・MONO・
1枚1.000円、花のデザインが美しいジャケットだった)、新世界/アンチェル(Fontana盤)、未完成は
オッテルローだったか。毎日が興奮と感動の日々だった。
メンデルスゾーン、チャイコフスキー、ベートーベン、モーツァルト、ブラームス、ブルッフなどの
ヴァイオリン協奏曲を聴きながら、ヴァイオリンがますます好きに。
オークレール、クレバース、シェリング、グリュミヨー、スターン、フランチェスカッティなどの
ヴァイオリニストだった。
その頃レコードを聴きながら感じていたことをいくつか上げると、
オークレールの弾くメンデルスゾーンはメロディーの出だしでルバート(ゆれ)がかかるのがいやだった。
モーツァルトの5番のオークレールの演奏はとても気に入っていた。T楽章とU楽章の展開部の
短調部分でモーツァルトの深部を垣間見た気がした。この曲も全曲が素晴らしい。
U楽章用にもう一曲書かれているがそちらも佳曲である。
チャイコフスキーはT楽章のコーダに入ったオーケストラが弱音になるのが欲求不満だったが、
今、オーマンディなどの指揮で聴くとまるで気にならないから、その頃聞いていたレコードの演奏が
悪かったのだろう。
ブルッフはクレバースと伴奏のオーケストラの北ドイツ、北欧風のサウンドが好きだった。
スターンの演奏も良かった。19歳の頃フィンランドの北部で12月の真夜中に聴いたこの演奏に
すごい感銘を受けた。スターンの男っぽい音楽作りと彼の楽器独特の音色が北国の冬の厳しさに
ぴったり合ってしまった。
ブラームスのヴァイオリン協奏曲はその「たそがれサウンド」(これも北ドイツ、北欧風といえば
そうか)にぞっこん惚れてこんで仕合せな時間をどれだけ過ごしたことか。好きな部分はたくさん
あるがソロが弾くT楽章第2テーマの切なさも良かった。
ベートーベンはソロヴァイオリンの出だしのアインガング(指鳴らし)音型がしっかりと良い音、
良い音楽で弾けている演奏になかなか出会えない。
第3楽章で3拍子のリズムが滑りやすいソロの音型があるがほとんどのソリストが上手く弾けない。
この協奏曲冒頭にティンパニだけで演奏される弱音の基本リズムはなんと素晴らしく、画期的な
ことか。最初の小節でその世界に入れる喜び。
ピアノ協奏曲はベートーベンの「皇帝」だけ。エリック・シルバーだったか。
まだマーラーやブルックナーなどが世の中にあまり知られていない頃に「一千人の交響曲」や
「大地の歌」、ブルックナーの「第九交響曲」などに憧れていた。
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初めてのオペラ体験はワグナーの「神々の黄昏」で始まる。
憧れのマーラーの「一千人の交響曲」とブルックナーの「第九交響曲」もようやく手に入れる。
楽劇の神話英雄伝説と宇宙的スケールの壮大な内容とサウンドの交響曲に感化され続ける。
現実と空想世界の時間の流れと空間の広がりが異なることをあまり意識しなくなり、当然、
日常生活には関心をはらわず、まだ聴けない憧れの曲と見知らぬ世界のことで頭が一杯の日々。
この頃「こだわり」の性格は、必要なものは見つかるまで探し回るという実際の行動にも表れるように
なってきた。もちろん非常に疲れるのだが・・・・
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この頃はレコードとスコアを一緒に買うようになっていたがほとんどが輸入品だったスコアは高価でやりくりが
大変だった。街に出かけてもレコード屋、楽譜屋、本屋だけを巡っていた。
将来指揮者になるとは夢にも思っていなかったのだから何が役に立つか分からないものだ。
ワグナーの楽劇からオペラ体験が始まったのはバイロイト音楽祭が大阪のフェスティヴァルホールへの
引越し公演(上演曲のなかで「トリスタンとイゾルデ」がマスコミの注目を受けていたような・・)を行なった
ことに影響を受けたのか、はたまた名曲解説全集のオペラ編で読んだ劇の内容に興味を持ったか良く
憶えていないが、お年玉をはたいて5枚組のレコード(ウィーンフィル/ショルティー盤)を購入。
演奏時間5時間のこの曲を学校から帰宅後、午後7時から12時まで連続でステレオの前に正座して
聴く日々を送る。
プロローグの開始の和音が鳴るとあっというまに別世界に連れて行かれるすごさ。
音楽も素晴らしいが、スコア(2冊組)のオーケストレーションの景色の素晴らしさにも魅了された
マーラーの「一千人の交響曲」はバーンスタイン/ロンドン響。これも魅せられた曲だが、第一楽章の再現部の
テンポが提示部と違うのに違和感を覚えていたのを思い出す。児童合唱の響きとメロディーの美しさも印象的
だった。
ブルックナーの「第九交響曲」はヨッフム/ベルリンフィル(グラモフォン2枚組)で「テ・デウム」付。各楽章1面づつ
収録という贅沢なレコードだった。演奏の素晴らしさも忘れられない。第一楽章の開始で、初めてトランペットが
2音だけのファンファーレモチーフを弱音で吹くが、ここだけでもうなんと立派な演奏なのだろうと感動した。
すべての楽章が感動の連続。
この曲は第一楽章の序奏の響きを聴くだけで、それぞれの指揮者の個性(クセ?)とオーケストラのサウンド
(良くも悪くも)がはっきりと分かる不思議な曲である。
「神々の黄昏」「一千人の交響曲」「ブルックナーの第九」は今でもレコード屋で新譜を見ると買ってしまう。
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大曲という理由でバッハの「マタイ受難曲」を聴き始める。内容は深く理解できないものの曲のすごさに
圧倒される。スコアの景色も他の作曲家となにか違う。西洋の宗教的なものにふれた最初の機会だったか。
バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティータとの付き合いもこの頃はじまって現在に至っている。
R・シュトラウスの「アルプス交響曲」の実演を聴きに行く。
歌劇「バラの騎士」との出会いもこの頃だった。
ブラームスやブルッフのヴァイオリン協奏曲に聴く「たそがれサウンド」への好みはますます嵩じてくる。
数多くの規格はずれの大曲に接し続けていたせいか西洋への憧れがますます強くなる。
異国が僕を呼んでいる・・・・・。
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当時京都までマタイ受難曲を聴きに出かけた。山田一雄指揮で指揮台を左右にゆれ動く指揮振りが
印象的だった。2群に分かれたオーケストラの掛け合いが見た目に面白く、レコードでは味わえない
楽しみだった。
当時はバロック時代の作品もすべてモダン楽器での演奏で、解釈もロマン派的であった。
昨今の古楽器による端正!な解釈とサウンドでの演奏など予想も出来なかった。
現代楽器ながら時代が変化してきたなと感じたのは、コルボ指揮の「マタイ受難曲」がそれまでの巨匠風の
重々しさでない、ラテン的な爽やかな風を感じさせる演奏で登場してきた頃か。
バロック音楽は特別な楽器、奏法と知識、解釈が必要な専門職の時代になってしまった。
管弦楽組曲第2番もよく聞いた。レーデル/ミュンヘンPAだったか。後年、南西ドイツ室内オーケストラで、
北欧の学者の研究成果によるテンポ設定を再現した演奏を指揮したが、従来とはまったく違う速い
テンポ設定で、保守的なドイツ人が目を白黒させながら弾いていたのを思い出す。最後にチェンバロ
奏者がスイス人のフーティストに一言、「こんなテンポはきらいだね」・・・
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータの「シャコンヌ」は何かの本に、バッハの作品で一つだけ残すと
すればこの曲だ、と書いてあるのを見て聴き始めた曲で、音楽院時代に毎年のコンクールで必ず課題曲
だった。好きな曲も多く、良く弾いていたこともあり今だに新しいCDを見つけると買ってしまう。
当時はシェリングとッグリュミオー盤が名盤の双璧だった。グリュミオー盤には全曲の楽譜が付いていた。
シェリング盤は立派なハードケース入りだった。今もレコードコレクションとして大切にしている。
学生時代に梅田の名曲喫茶でもこの曲は良く聴いたが演奏が良くないと・・・。今でも店の雰囲気と紅茶の
味がよみがえる。
実演を聞いたR・シュトラウスの「アルプス交響曲」の演奏は朝比奈隆/大阪フィルだったが、ステージの
天井から吊り下げられた雷マシーン(大きな鉄板)だけが印象に残っていて、これを叩くのを期待して
じっと待ってい思い出だけ。
山頂のシーンでブルッフのヴァイオリン協奏曲」のU楽章のメロディーがそのまま出てきたのに驚いた。
アルプス交響曲はブルッフの協奏曲より60年ほど後に書かれているが、このメロディは民謡という
話もある・・・・。
歌劇「バラの騎士」はカラヤン/シュワルツコップフのザルツブルク音楽祭の記録映画をフェスティヴァル
ホールで見たのだがほとんど眠ってしまいなにも憶えていない。出会いはひどかったが現在はもっとも
好きなオペラの一つで、組曲やワルツなどをコンサートで指揮している。DVDでなんども見聴きする
シーンも多い。
家庭でのR・シュトラウス体験はEPレコードの交響詩「ドンファン」だった。ロンドン盤だったが指揮者は
憶えていない。演奏は各場面の内容表現が見事でかなり聴きこんでいた。
大好きなヴァイオリン協奏曲もハチャトリアンやプロコフィエフ、ラロ、シベリウスなどに進み、オイストラフ、
スターン、コーガンなどに聴き入っていた。ハイフェッツはあまりにすっきりとした上手い弾きぶりになにか
物足りなさをおぼえあまり聴かなかった。そういえばいまもあまりハイフェッツのレコードは家に無いなー。
「たそがれサウンド」好きだったがシベリウスのヴァイオリン協奏曲ではたそがれを通り過ぎた寒さを
感じてしまう。好きな曲ではあったがブラームスのヴァイオリン協奏曲ほどではなかった。
ハチャトリアンはその頃日本を訪れて自作の指揮をしていたがあまり話題になっていなかった。
なにか見知らぬ国への憧れが強くなってきたようだ。最初にあこがれたのは音楽とはまったく関係ない
ハワイだったのがこの人らしいのだが。
青い海と青い空にあこがれたようだ。「君よ知るや南の国」・・・・・・なんて高級な詩に感化されたのではなく
当時テレビで流行っていた「トリス・ウイスキー」の宣伝に影響を受けたのではないだろうか。
日本中がハワイに憧れていたような時代だった。
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この頃によく聴いていた曲をもう少し想い出そう、
ベートーベンの「交響曲第3番ー英雄」、ブラームスの「交響曲第1・4番」、メンデルスゾーンの
「交響曲第4番ーイタリア」、ハイドンの「交響曲第100番ー軍隊」、
ワグナーの「さまよえるオランダ人序曲」「タンホイザー序曲」、
チャイコフスキーの「スラブ行進曲」「荘厳序曲1812年」「幻想序曲ロメオとジュリエット」、
スメタナの交響詩「モルダウ」、リストの交響詩「前奏曲」、R・コルサコフの「シェラザード」
「スペイン奇想曲」、
モーツァルト「ハフナー・セレナード」「クラリネット協奏曲」「ピアノ・ソナタートルコ行進曲付」、
変り種ではコープランドの「エル・サロン・メヒコーメキシコ酒場」、
そしてヴァイオリン曲ではモーツァルトの「ヴァイオリン・ソナタ K.378、K.304.K454」、
ベートーベンの「ヴァイオリン・ソナタ 第5番-春、第9番-クロイツェル、第10番」、「2つのロマンス」
パガニーニのヴァイオリン協奏曲第1&2番「ラ・カンパネラ」、ラロの「スペイン交響曲」、
ヴィニャフスキーの「ヴァイオリン協奏曲第2番」「スケルツォ・タランテラ」「華麗なるポロネーズ」
「モスクワの思い出、チャイコフスキーの「憂鬱なセレナード」など
何となく異国へのあこがれをかきたてる響きの曲が多いように感じるのは気のせいか。
いよいよヨーロッパへの旅立ちが近い・・・・。 |
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ベートーベンの「英雄交響曲」はフルトベングラーのエンジュル盤、透明で真っ赤な色のレコードだった。
カラヤン/ベルリンPOのベートーベン交響曲全集(何度目の新録音だったか)が出てレコード店を
賑わせていたのを思い出す。当時の大指揮者達のロマン的たっぷりテンポの演奏に慣れていたので、
店頭で聴くカラヤンの演奏の速めのテンポに物足りなさを感じたものだった。
ブラームスはベイヌム/アムステルダム・コンセルトヘボーのフィリップス盤だったか。なんとなく
物足りなさを感じながら聴いていた記憶がある。
メンデルスゾーンの交響曲「イタリア」はロンドンEP盤だった。地中海とオレンジの色彩が旅情を誘う
ジャケットが気に入っていた。指揮はペーター・マークだったか。まさにイタリア的な曲想、リズムと
サウンドに魅了された。
T楽章の鮮やかさ、穏やかであるべきU楽章が葬送行進曲、スケルツォでなく優美なメヌエットの
V楽章(中間部のファンファーレとメンデルスゾーンらしい妖精的な軽やかな木管のパッセージも
印象的)、祭りのような、狂気のような激しいW楽章のタランテラ、
「ウーン!これがイタリアか・・・」と聴き入っていた。
ハイドンは誰の指揮かは思い出せないが、これもロンドンのEP盤で大好きな曲と演奏だった。
すべての楽章が好きだった。ハイドンの響きの透明さにひかれながらももう少し色気があれば
いいななどと音楽的には結構高級なことに無意識ながら気付いていた。
ワグナーの「さまよえるオランダ人」のすごさにもまいった。嵐の海の描写のすごさ、ヒロイン・ゼンダの
清らかな美しいテーマ、永遠に死ぬことが出来ずに真実の愛を探して幽霊船でさまよい続ける船長、
幽霊船員たちの合唱、序曲を聴くだけでオペラ全曲を聴いたような満足感をおぼえた。
この「さまよえるオランダ人」とはヨーロッパ各地でよく出会うことになる。ウィーン、ミュンヘン、パリ、
ロンドン、ストラスブルクなどで様々な演出で見た。縁がある曲だ。
タンホイザー序曲は巡礼の合唱のメロディーによる序奏部と再現部が好きだがやはり、オーケストラ
だけの演奏よりもオペラのなかで合唱によって歌われる場面がいい。
タンホイザーの大行進曲も合唱付きでないと物足りない。
チャイコフスキーの「スラブ行進曲」やスメタナの交響詩「モルダウ」の哀愁に満ちた音楽に「たそがれ
サウンド」好きの悠太香さんは当然ダウン。
R・コルサコフの「シェラザード」とリストの交響詩「前奏曲」はともに、バーンスタイン/NYフィルの演奏。
CBSコロンビアの金色の豪華なジャケット盤。(ワルターのレコードもこのシリーズでたくさん出ていた)
演奏はどちらも素晴らしくかなりのめりこんでしまった。
「シャラザード」を聴きながら、この不思議な世界を何度旅したことか。
「前奏曲」はなんとなく深みに欠けるなと感じてはいたものの大好きな曲だった。最近はあまり
コンサートでは演奏されない曲になってしまった。
モーツァルトのハフナー・セレナードはワールト/ドレスデンの名演奏で今も愛聴盤。
曇りの日にはモーツァルトの「クラリネット協奏曲」がぴったり。ペイエのクラリネットだったかな。
どこを聴いても素晴らしい曲。この曲の第T楽章はモーツァルトが書いた最も多くの小節数を持つ
楽章だ。この曲も現在までに結構な枚数のレコードやCDを集めてしまった。
「トルコ行進曲」はコーダに感動する。これも「たそがれ」系だ。ウーン。
若い頃はベートーベン、ブラームス、チャイコフスキーなどの大曲を好んで聴くが、中年になると
あまり大管弦楽、大音響の激しい曲想の曲を聴かなくなるのはなぜだろう。やはり体力と気力の
充実度と関係あるのだろうか。
チャイコフスキーの悲愴交響曲とベートーベンの運命交響曲を1枚に入れたフィリップス盤があった。
悲愴のスコア付のデラックス版だったが、なにぶん悲愴の演奏時間45分が片面に入っているの
だからレコードの溝が細いこと細いこと、もちろん我が家のステレオではすぐに溝が切れてしまって
音飛びになってしまった。指揮者のマルケビッチもお気の毒。
モーツァルトのヴァイオリン・ソナタはゴールドベルクとルプーでこの3曲で1枚のレコード。
ヴァイオリンの音色が少し硬いものの名演奏。
ベートーベンのヴァイオリンソナタも良かった。春とクロイツェル・ソナタのなんというコントラスト。
第10番の冒頭の穏やかな牧歌的雰囲気も好きだった。小型のオープンテープ゚で聴いていた。
大好きなヴァイオリン曲にパガニーニが加わってますますヴァイオリンのとりこ。
協奏曲第2番が特に好きだった。イタリアン・エスプリをすべて備えた魅力溢れる曲だ。
メンデルスゾーンがイタリア交響曲で描く碧色とパガニーニのそれとは透明感が違う。やはり
アルプスを挟むと異なった感性が育つのだろう。もちろんオリーブオイルの摂取量の違いも
大いに関係があるが・・・。
タイトルは交響曲ながらヴァイオリン協奏曲であるラロのスペイン交響曲も異国情緒を満喫させて
くれる。コーガンの演奏で楽しんでいた。
これまで心に芽生えていたヨーロッパへの憧れがはっきりと現実のものとなってくる。
本場・本物の音楽を体験したいという想いが高まる。
いよいよ横浜から船出。ロシアを横断、北欧を経てフランスまでの旅が始まる。
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ついに1969年12月に横浜港よりヨーロッパへ向けて出航。
ヨーロッパの音楽と生活に憧れて旅立ってしまった。
はたして本場の音楽とは・・・・ 憧れの西洋とは・・・・・
たくさんの新しい音楽と人々との出会いが待つヨーロッパへ・・・・・
ヨーロッパへの旅のはじまりは横浜から船でソビエトへ向かう。
横浜ーナホトカーハバロフスクーモスクワーレニングラードを経てフィンランドの首都ヘルシンキへ。
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続く
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